めぐるぐる日々。

わたしの日常をつらつらと。

日々の、なんでもないこと。でも、なんでもあること。 かきかきしたいと思っちゃったのさ。

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バンフにきてから3ヶ月、カナダにきて6ヶ月がたちました。
日本からでてきてちょうど、半年ということになります。折り返し地点。
語学学校3ヶ月。働きはじめて3ヶ月。なんだかきりのいいところで、わたくし、vacationをとることにいたしました。

ひらしまにしてはとってもとってもいい天気で(そうわたしは言わずと知れた、雨女)、あったかい日に出発することができまして、もう、それだけでうふふな1日でございました。目的地までおよそ13時間バスにゆられていくのですが、なんてったってとっても気持ちいい日でしたので、なんのその。休憩でバスを降りるたびに、「うああ、わたし、旅してるわあ」って、でっかい山と澄んだ空気を胸いっぱい吸い込んで嬉しくなって、気づいたら懐かしのバンクーバーに到着しておったのでございます。


振り返ってみればこの6ヶ月、怒涛のように暮らしてきたなあと思うわけです。日本の皆さまや働いてらっしゃる方々からすれば、こんなの怒涛でもなんでもないとは思うんですけど、わたしなりに怒涛だったわけです。その折り返し地点の7ヶ月目にお休みをいただいて、ゆっくり生活してみること、もういっかいこれからの半年について考えてみること、日本に帰ってからのことを考えてみること。自分にとっては大事な時間なのかも〜って感じています。まったく贅沢なおはなしなんですが。ここ3ヶ月は仕事に慣れること、に必死だったけど、ふっと自分を客観的に見たら「ふむ。方向転換するならいまだなあ」って。

働くってなんだろう、って漠然と大学卒業を目の前にした頃から考えていたのですが、やっぱりここでも考えることはおなじ。こちらでまがいなりにも働くようになって、より現実的に「働く」ってことについて考えるようになりました。仕事に割く時間と収入の関係、仕事の質ややりがい、生活の質とモチベーション。お金を稼げればそれでよいのか。お金を稼ぐために割く時間に比例して減る、自分の時間。お金は増えるけど、本当は何したかったんだっけ〜なんて、むなしすぎる。

大学生の頃は、「自分にしかできないこと」をさんざん探していたように思います。とくにどんな仕事があるのかも真剣に探しもしないけど、ただ呆然と、「ご縁があれば仕事にはありつけるだろう」なんて思ってました。自分がやりたいことを見つけてからじゃないと、仕事にもつきたくないって。
もちろん、いまも「自分にしかできないこと」を探して、考えてないわけじゃないんだけど、いまはすこしだけその考え方が変わってきたかなあって。

少なくとも、自分に合う仕事や自分にしかできないこと、なんてない。その仕事が自分に向いてるか、向いてないかを考えるほど、そしてそれを判断できるほどの経験が自分にはない。仕事を選ぶ権限がない、とまでは言わないけれど、自分で選り好みするほど自分の価値は高くないだろう、と思う。

だからといって、自分が全くやりたくない仕事を選ぼう、というわけじゃないんだけど、「つべこべ言わず働け」ってもう一人の自分がいっている気がするわけです。
自分がやりたいこととか、やりたくないこと。自分に合う仕事とか合わない仕事。そんなの、わかんない。わからないから、わからないなら働けって。そういう話なのかな〜って。

そんなことを思いながら、目標みさだめ直しの時期です。
日本に帰ってからの動きも含めて、この時間にじっくり考えるつもりです。考えたからって、計画たてたからって、その通りにならないこともわかってんだけどね〜。でも、考えるってたのしいからさ〜、考えることにしますね〜

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バンフに来てから2ヶ月が経過し、カナダにきてから5ヶ月たちました。

バンフのほとんどの道からは雪が消えて、あたたかい日には春のにおいがする今日この頃。ハウスキーピングの仕事にも慣れて、ベットメイキングの研究に明け暮れていましたところ、久々に風邪をひきましてふらふらしておるひらしまです。手洗いうがいは徹底してたはずなのに、いつの間にか、風邪菌にやられていたそうです。40℃一歩手前まで熱がでたのに、冷えピタみたいなのもってなかったから、冷凍ご飯を顔をあたためて、冷をとりました。

朝にはいい感じに解凍されたお米たちを首にしいたまま、その日はお仕事をお休みさせてもらって、ふらふらする身体かかえながらここ数日を過ごしております。いまは声がでまへん。だからか、気持ちもなんだか寂しいきもちになって、弱気まではいかないけれど、孤独にベッドでうずくまっておりました。

喉がいがいがするよう。
身体に力がはいんないよう。

日本にいたらすぐ手に入る薬や家族の手厚い看病はここにはない。消化によいと思われる、というか風邪のときにはすぐたべたくなる梅干しうどんなんかも、つくれない。海外で風邪になると何かと面倒です。しょうがが手に入るのはありがたい。(おかゆやら飲み物やらにぶちこんでしまう。)
はやく治してしまいたい〜すぱっと切れてくれればいいのに、なかなかしつこい風邪です。こじらせて再び喘息とかにならないようにしたいんだけど、なかなか咳がとまりません。うむ〜…。

わたしが住んでる家は、わたしが働いているホテルの系列の寮で、ハウスキーパーたちの巣。ホテルは違えど、やってることはみな同じ。よって悩みもおなじ。
足腰が痛む、手や爪がぼろぼろになる、筋肉量ふえる、腹が異常にへる、いつの間にか手足にあざができてる、だとか。寮の洗濯機は25セントか1ドルしか使えないから、買い物ででたおつりとか、仕事でもらったチップを、みんな「洗濯貯金」してたりとか。
他人様の排泄物やらなんやらに抵抗なくなるし、やけに自炊や掃除の手際がよくなって。仕事のなかでは裏方のうらかたで、お客さんが汚した部屋をひたすら片付ける影の仕事だから、目立たないし、成果は目にみえにくいけど、きっと世の中には必要な仕事なんだって思うことにしている。(でもいまだに、便器につまった他人のうんこ様をブラシで流すのはけっこうきついものがある。まじで。)

寮暮らしだって、けっして楽なことじゃなく。小さな部屋に二つのベッド、一つのたんすとクローゼットを半分こして使う生活は、嫌でも「最小限の手荷物と何ももたない暮らし」みたいな一見おしゃれに聞こえる、でも実はまあまあストレスフルな生活を実践することができる。日本人同士でもいろいろ悩みやあるのに、国が違えばおのずとその違いはうきぼりになってきて、世の中にごまんとある理不尽のうちのほんとちょびっとを感じずにはいられない時もある。
自分の意識のなかでは、人種に対する偏見とかないと思ってたんだけど、意外としっかり根強く深く、それぞれの国にたいするステレオタイプを持ってるんだということを自覚させられてる。それと同時に、関わる国のひとに良い印象をもつことができたら、その国の印象もよくなるってこともわかった(単純だけど、無視できない規則だとおもう)。そのひと個人をみて、国民性を断定することは到底できないことだけど、その半面で、個人の背景にある文化や価値観のちがいがお互いの距離を保っていることも否定できないなあ〜っておもう。


まあ話はかわって、

わたしが今しているお仕事、ハウスキーピングって、ようするに家事とほとんど内容いっしょだから、家にかえってご飯つくってまた食器とか洗ってたりすると、やっぱ人間って、こういうのを繰り返して生きていくんだなあ。っておもう。作る、食べる、掃除する、排泄する。またつくって、食べて、掃除して、排泄する。どの国にいても、何人であっても、生きてるかぎり、これだけは続く。
仕事で家事をし、家でも家事をし…って繰り返してると、なんだかなあ、毎日おなじことやってんなあ〜って。他のことしたあいっって思うけど、人間の最も根幹の部分を仕事にしてるだけあって、逃げるにもにげらんので。おかあさんってすごいなあ〜て、思うよ。毎日お弁当つくってさ〜、朝ごはんも晩御飯もつくって。掃除して食器洗って洗濯もして。super womanやわ。子どもがおおきくなって、巣立ったとしても、家族は消えないし、生活の根幹は続いてく。果てしないわ〜。うん、果てしない。

4月はそんな繰り返しの毎日からふらっと離れて、「仕事」としての生活じゃなくて、自分のために、ひとのために、生活してみようかとおもいます。また来月もええ月になるとええなあ〜。
春よ〜はやくきてちょ〜だい。

 

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カナダは今日が、3.11。あれから5年。大学入学前のあの日から、ざざっとここまできちゃって、自分の身体が東北に向かうことはなかったけれど。日本の根っこのぶぶんがゆらゆらしたのと同時に、政治も経済もひとの心もゆらゆらしたあの日。忘れたい記憶、忘れちゃいけない記憶、どちらも両手に抱えてる。日本からは遠いカナダだけど、忘れないよ〜。あの日があったこと、忘れないよ〜。

 

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バンフに来てから1ヶ月をすぎ、カナダにきてから4ヶ月目をむかえています。

バンフはさぞかし寒いところかと思いきや、今年は−30℃とか40℃の世界にはならない年らしく、なんとか、ふつうに(?)過ごすことができています。そして右腕に力こぶが目立って出現するほど体はたくましくなり、よく食べ、よく太り、なんだか日本にいるときよりも健康的になった気が…。標高1000mを越える地に身をおいて、体力勝負の仕事をしているので、きっと日本に帰ったときには地から足が浮くのではないかと楽しみにしております。
バンフの街は、とっても小さくて通りには動物のなまえがつけられてます。例えば、「わたしのお家は、Bear通りのすぐそばよ(熊の道のそばよ)」なんておしゃれな言い方ができちゃうわけ。国立公園のなかに住んでいるので、鹿さんやリスさんがふつうにおるそうです。大量におるらしいんやけど、運のないわたしはまだ街中で野生動物にでくわしておりません。ふとした瞬間、そう、トトロとめいちゃんの出会いみたいにあえるといいんですけどね。…ふ。


語学学校に通ってた頃が懐かしく遠く感じる今日この頃ですが、バンクーバーを発ってから1ヶ月ちょっとしかたってないんですねえ。でもここから、今年の10月までずずずっと過ぎていってしまうんだろうなあ〜って雪山見つめながら思います。この雪がとけて、暑くなりだす頃にはどんな生活してんだろう。セカンドジョブはみつけたかしら〜、ルームメイトも変わってたり、もしかしたら自分もアコモをでてシェアハウスしてたり、もうすこおしだけ英語力つけてたりするんだろうか。夏が待ち遠しい!とってもとっても綺麗なんやって!

日本を旅立つまえは、もっとがっつり英語漬けの日々かと思ってたけど、そうでもないなあ〜(自分の努力次第って言葉がほんとに身にしみる)。できるだけ英語を聞いて話そうとするけど、進歩してるのかしてないのかいまいちわからんのです。
バンフにある唯一の図書館にかよっては、本を読み、映画を観、ってしてるけどこれって役に立ってるんかなあ。インプットだらけだなあ。やらないよりいいのかしら。思ったよりジブリの映画が英語版にされてて(ポニョとか風立ちぬとかもあるんやよ!)、にやにやしたり、もやもやしながら観ておるのです。

そうそう、こちらにきて密かな疑問だったのが、英語圏のひとたちはわたしたちのような、英語が母語じゃないひとが留学して英語を話そうとしてることについてどう思ってるのかなあってことで。例えば、日本語を話そうとするひとたちがわんさか増えて、わたしたちが普段はなしている日常会話も筒抜けになっちゃうって想像したら、わたしは感覚的にだけど嫌だなあって思ってた。

で、この前ネイティブのおばさまとお話しする機会があって、「あなたどこからきたの?」って話から「ひとりでこんなところにきて勉強するなんて、すごいわねえ」って言われたから、「でもおばさまは英語話せるじゃないですかあ〜、そっちのほうがいいですよ」って言ったのね。そしたら、

「それ、わたしたちにとっては恥ずかしいこと(I feel like ashamed)なのよ」

っていった。

え、なんでなんで?って聞いてみると、どうやら他国のひとたちが英語はなしてくれるから、わたしたちみたいに他国の言語を学ぶために国からでてきちゃうような、自分から何かを求めて必死になったりすることが少なくなるらしい。おばさまの知り合いの方がタンザニアに行って、そこでもちろん言葉はわからないけれどそれでもすっごく良い経験をしたから、わたしもすこしだけ話せるスペイン語を試しに、スペインに行ってみたいわ〜って話してくれた。「でもうちの旦那、チキンなの。だからなかなか行くことができないのよ」って、にやってしてた。
おばさまのお話しはすごく納得できた。もし自分が英語圏の人間だったら、最初からいろんな分野に手を出すことができるし、旅だって言葉の壁をあまり気にせずにどこにだっていけただろうな。でも、自分の話せる言語に甘えるっていうか、頼りすぎるっていうか、他国の言葉に耳を傾けたり理解したりしようとすることって今より少なかったのかもしれないなあ〜って思った。

「あなた、とっても勇敢よ」

って、おばさまが言ってくれた言葉がじわじわしみた。ネイティブに近づこう、近づきたいって思っては、近づけないよぅ〜って落ち込むワーホリ生活なんだけど、まだまだ頑張れるかもしんない。

この国で暮らして、見て感じたこと、自分の糧にできること、すこしずつひろっていく。そして記録していく。
日本のことは毎日恋しく感じるけど、外国で旅しているようで暮らしているこの生活も楽しくなってきましたとさ。


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あけましておめでとうございます。
こんにちは2016年。

今年の干支は申年ということで、年女です。人生で2回目の、年女。
前回は12歳。(小学校6年。中学校入学寸前で将来の夢は、NBAのバスケットボール選手になること。当時心底バスケにはまっていた。習ってたわけじゃないけど。)
現在23歳。(カナダにワーホリ中。バスケ選手になる気配はまったくない。教育と英語の勉強をかじって、日本からでてきてしまった。たぶんこれからも、出たりはいったりするんだろう。)
次回は36歳。…なんだろう。結婚して子どもがいて、旦那さんと暮らしている…といいな。お母さんしながら、そのかたわらでなんかできればいいけどなあ。小学校の先生やってたりしてね〜

なんてこと考えながら、いま、バンフのスタバです。

12歳の自分が、24歳の自分を想像できないように、いまのわたしも36歳の自分を想像することはとっても難しい。でも自分が重ねてきた時間はいっぽんにつながっているんだなあと思うと、どの記憶もどんな経験も複雑かつ巧妙につなぎあわさっているんだと感じる。
あのひとのあの言葉がなかったら、いまここにわたしはいなかったかもしれない。
あの時、あの場所に行くって決めなかったら、この人とは出会わなかったな。
いままでは後悔していることだったけど、いま振り返ってみると、必要なことだったな。
たぶん、みんな一度は思うことをカナダにきて、より身近に、より深く感じるようになった。

自分が何者であるか、という問いよりも、自分が何によって形づくられているのか。
12歳のときには持っているものが少なくてふりかえることができなかった、記憶や経験たちをいまのわたしは前よりはすこし量のふえたそれをならべて、ふりかえることができる。だからこそ考えられる、「自分が何によって形づくられているか」。

いいことも悪いことも、それぞれあるけれど。
結局わたしはいまここで生きてるし。
このまま生きていたいとおもう。

毎日、鼻毛こおらせて白い息はいてホテルの掃除をしながら、背筋筋肉痛になるわ右手はたくましくなるわで、ますます自分が何したいのかわかんないんだけど、わはは!と笑っていられるので、しあわせです。かみさま、お父さんお母さんありがとう。

厳しい寒さにさらされてはいるけれど、バンフの大自然にいだかれて、たぶんわたし、生き生きしてるはず。わたし、元気です。
心配ごとがないわけじゃないけれど、全部が計画通りなわけじゃないけれど、落ち込んだり、悲しくなったりしながら生きてます。

まだまだこちらの生活ははじまったばかり。にこにこしながら生活できるといいな。

 

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バンクーバーから、バンフに引っ越してきました。
語学学校を卒業して、これから本格的にワーキングホリデーのはじまりはじまり。

たくさんの出会いにお別れをして、わたしはこれから何回 大切なひととお別れしなきゃいけないんだろうとか思いながら、飛行機にのりました。あの別れる瞬間の、むだに明るい、はしゃいだかんじの、でも心にあるちょっとした寂しいかんじをなるべく出さないように、でもどうしても出してしまうあのかんじ。どんな言葉も、なんかしっくりこなくて、相手を安心させることも落ち着かせることもできない。「また会おうね!」が精一杯。「また会えるよね!」って自分にも相手にも言い聞かせるかんじ。


ご存知のとおり、おっちょこちょいのわたしなので、バンクーバー最後の数日は忘れ物するわ、コンパスカードなくすわ(2度目)、鍵は置いてくるわ、荷物の重量オーバーはするわで、なんていうか、わたしって生きてていいんだろうかって思うくらいの(それくらい失敗が立て続けにおきた)日々だった。だけどその節々で助けてくれる方がいて、ほんとにわたしは幸せもの。「死ぬほどのことじゃないよ」っていってくれるみんながいたから、今生きてる。いや、ほんと。

カルガリーについてからも、小さいころ英語を教えてくれていた先生の家にお邪魔して、暖炉のまえでクリスマスディナーを食べて、ボードゲームをし、お酒をのみ、ソファで映画を観るっていうなんとも素敵なクリスマスを過ごしましたとさ。そしてなんと、仕事先であるバンフまで車で送ってもらうっていう…わたし、ほんとうに感激。ありがとう。わたし、どうしようもない計画性もないおばかさんだけど、みんながいいひとだから生きていける…おおげさじゃなく、ほんとに。


今日、働き先であるホテルのボスにあってこんなホテルだよ〜って説明きいたけど、正直ここで働いて、暮らしていくのかって全然実感わかない。もう山の上に住んでるのは無視できないくらい山は四方八方を塞いでくるし、見渡すかぎり、雪、雪、雪。
ほんとにこんなとこにすむんだろうか…生きれるのか。いや、まず働けるのか、わたし。方向音痴だぞ、わたし。寒さに弱いぞ、わたし。引きこもり体質だぞ、わたし。英語はなせるようになるためには、そら人と付き合わないといけないのわかってるけど、どっちかっていうとそういうの苦手だぞ、わたし。って、バンクーバー来たてのころに思ってた同じことをぐるぐる考えておる。
こういうことって、いろんな場所に住みつくたびに感じることなんだろうな。この街に自分を馴染ませるには、街をぐるぐる歩きまわること、どこに何があるのか把握すること(まあこれ、大の苦手なんだけど)、お気に入りのスーパーやカフェをみつけること、その他もろもろのことが必要。
これってすぐにはできなくて、わたしの場合、人より時間がかかる。もともと出不精なうえ、寒いの嫌いっていう性質を持っているので、(それなのに、こんなとこ来ちゃうもんだから、わたしって天然の逆境好きなんじゃないかっておもう)余計、慣れるのが大変なんだよなあ〜

ここが最後の砦、といいますか。今のところ予定している最後の移動なので、ここに夏まで住もうかと思っています。ここで落ち着くことができれば、かなり楽しいのではないかと。バンクーバーは3ヶ月で、だたっと過ぎてしまったわけだけど、バンクーバーの3倍の長さをここで過ごすことができるわけで。バンクーバーに比べたら、なんもないし自然ばっかなので、理由もなくうっきうきなんですが。たぶんすぐに飽きる性格ではないので、とりあえずのんびりここで過ごしていくんじゃないかと思います。ずーとハウスキーパーばかりするかどうかはわかんないけど、余裕が出てきたら日本人学校のボランティアでもしてみようかと思ったり思わなかったり。選択肢は狭いようで広い。広いようで狭い。神経質なのと無神経のあいだ。計画と無計画のあいだ。そのなかで生きていきたいな〜。

まずは仕事に慣れること。
そして環境やひとや、地理に慣れること。

気温や気候もバンクーバーと全く違うので、風邪ひかないようにしないとなあ〜
−15°を初めて体験したけど、息しにくいんだね、こうなると。肺が拒否します。
鼻もすっごく冷たくなるし。大判のマフラーがないと死んでしまいます。新しく帽子買って正解でした。もちろん鼻からの息も口からのも真っ白。さすがにバナナで釘は打てませんが。そんな日もいつか来るのかもしれません。

 

とにかく、バンフで新しい生活がスタートします。

うきうきだろうか。わくわくだろうか。

いまはちょっぴり不安。

 

 

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今日は、特になんでもないけど、思ったことをつらつらと。

わたし、はるばるバンクーバーまで英語勉強しにきた。勉強するだけじゃなくて、ひとと出会いたくて、文化のちがいとかに出会いたくてここまできた。日本以外の場所で長く滞在して、その土地の考え方、価値観、生活スタイルを身につける。馴染んでみる。出会うひとたちの背景を知る。心で触れ合う。言葉はちがうけど、わたしたち人間って、おなじ心と体で、おなじ気持ちかかえてるんやよな。そんなことを感じに、自分の目で、肌で、心で感じたくて、ここまできたよ。

 

実際、こちらにきて感じることは書ききれないくらいおおい。
気づくことは全部おぼえていたいけど、いまはそれが当たり前になりつつあって、たまに「おっ、ここはカナダだったか」って自分を戻さなきゃいけないこともしばしば。
あんなに違和感でしかなかった洗剤のにおいや、自分の部屋のにおいも、「ただいま〜」って思えるくらい心地よくなった。日本食を毎日たべなくても生きていける体になったし、”Do you need a bag?”が聞けるようになったり、海外の友だちと冗談いいあったり。3ヶ月まえじゃ考えられないこといっぱいあるんだ。


自分のなかみも、だんだん変わってきた気がする。
いままでは、何かを実行するときすっごく時間がかかって、決められなくて、ずいぶん悩んだ。自分の中心はあるんだけど、それに従うのか、争うのかでだいぶ時間をとられてた。だけど最近、ぴぴっと直感がくれば行動することができるようになった。ためらうことをやめた。(これって危ないのかもしれないけど笑)。まえよりもっと、大胆になったのかも。ひとの気持ちを考えて、自分の気持ちの折り合いをつけてきたんだけど、いまは自分ひとりっていうのもあって、自分がやりたいようにできる。自分が進みたい方向に進める。自分が感じるままに生活ができる。ありがたいことに。
まあ逆に言えば、それは、ちかくに家族とか恋人とかがいなくて、ぜんぶ自分で決めなきゃいけないことの裏返しなんだけどさ。いままでがひとのこと気にしすぎたのかなあ。いまやっと、自分が生きてる気がする。いま、心が自由だなあ。独身の女性ってこんな気分なのかな。おおげさに言っちゃったな…

わたしには無限の可能性があるんだ。

なんて、思ってたような、思ってなかったようなことも。
いまポジティブだからこう思えるんだけど、やろうと思ったらやれる。食らいつくことくらいはできる。びたーんって倒れそうになることもあるけど。それにびびってたら、ほんとになんもできない。

小学校のころ、先生に怒られるの大嫌いだった(まあ好きな人いないよね)。失敗することも、間違うことも、道からはずれることも、大嫌い。自分を完璧にみせたくて、自分っていい奴だって思いたくて。他のひとと何かが違うわけじゃないけど、できる自分になりたかった。
いまも、自分の掲げる理想みたいなものに近づこうとしてて、これまでの人生をふりかえっても、後悔していることって少ない。順調にきたんだなあ。ぜんぶが良いことにつながってるなあ〜って思う。

いまも、失敗することは嫌いだけど。でもこっちにきたら失敗ばっかだし、失敗して死なないし、失敗を笑ってくれる環境だから失敗になれた。自分が失敗してきてないかのように勘違いしていたけど、考えてみれば失敗だらけだし、これからも失敗せずに生きるなんて不可能だし、ばかばかしいからこの考えは捨てる。
ただ、一度してしまった失敗を次に生かせれればいいんだわ。簡単じゃないけどね!これが難しいから、人間なやむんだけどね!

 

日本に自分がいないこともだいぶなれてきました。日本にわたしいないんです。あれまあ。困ったわねえ。
かっこつけないで生きていたい。どろんこどろだらけの自分でいい。
ほんとは、かっこよく生きたいけど、生きられないから。うじうじ湿っぽくて暗いことは十分しってるから。自分と付き合っていく。

次のステップでも、自分が笑えたらいい。
今月末、バンクーバーを離れる。シティライフにさよならを告げて、ど田舎ぐらしの始まりです。

 

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こちらに来て、2ヶ月がたちました。12月です。
日本では12月を師走といいますが、こちらにもどうやらその師走は適用されるようで、11月に感じた時のはやさより×4倍速くらいで時が進んでいる感覚です。最初は考えられなかったけど、やはり徐々に時間の感覚がはやくなってきている。うおおお。これはすごいぞ。「あっという間だった」現象がだんだん適用され始めていますぞ。

 

それはさておき、
今月、語学学校を卒業するので、次のステップにむけて仕事をさがしている途中。
バンクーバーのあるBritishColombia州からとなりのAlberta州にうつって働こうと、いまカナディアンロッキーのホテルやオフィスに履歴書をおくっています。
んがしかし、なかなか返事がかえってこんのです、これが。
仕事募集の掲示板から仕事先のメールアドレスをゲットして、自分の履歴書を添付して送るんだけど。返事がかえってこない!!日本の企業に送ると、1日以内でかえってくるか、1日後くらいなんだけど、カナダのホテルに送ったものは1週間以上たってもかえってこないんです。
ああ、これが就活の厳しさかしら、なんて思いながら、それでも時間は待ってくれないから、じわじわ焦ってるところ。

で、なんとわたし、12月25日に移動しなきゃいけないのね。カルガリーに。せっかくのクリスマスなのに、ねえ。でもねでもね、わたし小さいころ英会話教室に通ってたんだけど、その先生がカルガリー出身ってことが判明して(カナダ人だったんだって最近知った)25日、その先生のおうちに行けることになったの!
仕事が見つからなかったら、路頭に迷って凍って死んでしまうかもしれないわたしに救いの手が…ありがたや…。とりあえず、生きられそう。ありがとう神さま。

で、問題の英語力なんですが、やっぱ話すのはまだ難しいなあ〜ってかんじ。でもリスニングは劇的にあがった気がする。いままで聞こえなかった細かい the とか as とかまで聞こえるようになった。先生たちの発音がいいので、ネイティブと話すとまたちょっと難しいんだけどね。あと、授業中、ノートとりながら先生の話を聞けるようになった。先生の余談ばなしをノートに英語でとろうとすると、何書きたかったか忘れちゃうけど。でも来たときは、話すにも書くにももっと時間かかってたから、進歩かなとおもう。これによって格段に話せればいいけど…表現おぼえたりとか…でもやっぱすぐにできるようになるわけじゃあないんだなあ〜って思う。
あと、できるようになったなあっておもうのが、ライティング。先月の先生が、論理的に書くことが必要なライティング(論理的に書かないエッセイなんてないんだろうけど)を課題に出すことが多くて、それで鍛えられたんだとおもう。いままでよりちょっと長めのエッセイでも、前より時間や辞書を見ずにかけるようになったな!ってちゃんと感じることができる。これってけっこうでかいし嬉しい。

きっとスピーキングは永遠の課題だろうナ…先は見えんが明るいことを願う。

バンクーバーはクリスマスシーズンで、どこもきらきらしてる。
ふつうの駐車場で、もみの木マーケット開かれたりしてびっくりしたり、車の両サイドにトナカイの耳がつけてあったりしてよくわかんない感じなんだけど、やっぱこっちのクリスマスは本格的ですな。

こちらに来てたくさんの人たちに出会ったけど、みんなそれぞれ違った背景持ってて、それぞれの目標があって。すごくおもしろいし、話きくのがたのしい。生まれてきた国は違うのに、笑いのツボが同じだったときとか、表現が似てたりすることに気づけたら、世界はひろいけど、でも思ってたより自分の近くにあるんだなって思ったりする。

そして日本は、やっぱ大陸から離れた島国で、カナダから日本を見ると、日本って特殊で不思議な、いろんな意味で特別な国なんだなって感じる。うまく言えないけど。こちらの人は日本をすごいっって思ってるけど、だからといって日本を見習おうとか日本に近づこうとは思ってない。うちはうち、そとはそと。そういう印象を、こちらの人からうける。

 

まあとにかくね、日本を離れていることが日常になりつつある今日この頃。
ストレスなく生きてるわけじゃないけど、だいぶ慣れました。生きてます。
みんなは大晦日にこたつ入って、紅白みて、みかん食べて餅たべて…いいなあ。来年は、日本のお正月を謳歌してやる。

いくらがたべたいです。

 

るんたった るんたった。