めぐるぐる日々。

わたしの日常をつらつらと。

日々の、なんでもないこと。でも、なんでもあること。 かきかきしたいと思っちゃったのさ。

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カナダから旅立って1ヶ月すぎ、日本に帰ってきて1が月とっくにすぎました。

バンフのあの寮を去ったのが8月28日だったのが信じられない。だって、あの日からこの日まで、ほんとにあっという間で、カナダに住んでたことなんて夢だったんじゃないか、って本当に思ってしまうくらい、日本に帰ってきたらあっけなかった。
自分がここに1年間いなかったことなんて、誰もしらなかったんじゃないか、ってくらい、わたしが日本にいることは当たり前みたいだった。
あれほど、自分のほうからは日本を求めていたけど、日本側はべつにわたしのこと、恋しくなかったみたい。みんなそれぞれ忙しくて、わたしがカナダにいた1年があっという間だったみたいに、みんなにとっての1年も、あっという間だったにちがいない。

よく、カナダから帰ってきてなにか変わったか?って聞かれる。よく聞かれる質問なので、わたし自身もよくよく考えてみるのだが、いまいち「これだ」というものがみつからない。
例えば、道に迷っている外国人に対して英語で気楽に話そうと思うようになった、だとか、何事にも恐れず物事を実行するようになっただとか、そんなことが言えるようになっていれば、1年海外に住んだものとしてふさわしい言葉なのかもしれない。実際、わたしにもそういう部分が芽生えていないわけじゃないのかもしれない。だけど、実感と自信をもって、「わたしはこれができるようになったーーー!」と、声高々にいえることって、ほんのすこしなような気がする。いや、あるのかさえ、わからない。これほんとに、ほんとの話。

海外に行って、住んでみたからって、わたしは前と同じ。いっぱい悩んで実行するかどうか迷って、結局やる気になったりならなかったり、を繰り返している。たぶん、「変わった」ことを数えるよりも、「気づいたこと」とかのほうが多い。そしてそれって、あとから「そういえばさ~」って実生活を過ごすなかでぽろぽろ出てくる気づきが多くて、いまばばばばっと描けるものじゃないのかも。

それでも自分が変わったなあと思うところ。…ちょっと書き出してみる。

 

ひとつめ 価値観がぶっこわされたことによる、受容領域の広がり。
1年前の自分は、例えば、たばこやマリファナを吸うひとやギャンブルをするひとたち、タトゥーが入ったひとたちをみると、「自分と接点のないひとたち、または尊敬できないひとたち」というレッテルを貼っていた。あんまりその行為をする人たちの行動の意味がわからなかったし、なんでそういうことするんだろう、それって必要なのかしらって思ってた。でもカナダではマリファナは合法だしタトゥーなんて入ってないひと探すほうが大変なくらいみんな自由にいれている。で、出会った人たちはべつに極悪なひとではなく、一個の人間だったし、全部たのしんでいた。そして、なんかクールだった。だから、たばこ吸おうがマリファナ吸おうがタトゥーはいってようが、そのひとはそのひとだ。そう思うことが、やっとできるようになった。なんだかんだ、最後にはわたしもタトゥーいれよっかな、って思うくらいに。

 

ふたつめ 自分は自分、という考え方
これは、さっきの逆になるかもしれないけれど、そのひとがそのひとなんだったら、自分は自分だ、という考え方になった。…と思う。相変わらず、引きこもり体質で弱気な自分には変わりないんだけど、そんな自分も自分であるということ。そしてそういうひとは、日本人だけでなく、ちゃんと海外にもいて気のあうひとは、国境をこえても気が合うということ。逆に、合わないひとは同じ日本人であっても、気があわないということ。それが心にしみてわかったので、友達づくりやひととの関係づくりにおいてあまり無理をしなくなった(もともと、あまり無理するひとではなかったけど、気をつかうのをやめた。でもこれは、けして、ひとをないがしろにするっていう意味じゃない)。

みっつめ ライフプランの見直し
この2点をふまえて、わたしの人生計画は(あってなかったようなものだけど)もっと柔軟になった。日本と海外の価値観の良いところだけを受け継いで、どうにか楽しく働きながら生きていきたいと奮闘するつもりだ。お金はもちろんほしいし、人生のパートナーもほしければ子どもだってほしい。だけどそれを縦の線で時系列的に考えるんじゃなくて、ぜんぶの要素を机のうえにばらぁっとばらまいて、いつでもそれを選択できるように物事をみていきたい。いまいち、生き方について正しさとかはわからないけれど、たぶんわたしが生きてるからわたし色にしかならないとおもう。どうしたって。

 


カナダにいって、ずいぶん働くってことについて考えた。で、日本に帰ってきて働きはじめて、やっぱり考えつづけている。ああもう。でもちゃんとひとりのおとなとして、人間として働きたい。自分をいかして、はたらきたい。


まあそんなこんなで、いろいろぐるぐるしている頭んなか。
「書く」ひとでありたいなあ、とおもいつつ、「書く」ってなんてエネルギーがいるんだろうっって毎回思わされる。身を削るようにかく。さらけだしている。だけど、好きだ。書いていけたらいいのにな。

11月にはいったなあ。大阪も寒め。毎日、ある程度楽しい。生きている。
もう街はクリスマスに染まりつつある。…急ぎすぎな気がする。気分が急かされる…。

るんたった るんたった。