めぐるぐる日々。

わたしの日常をつらつらと。

日々の、なんでもないこと。でも、なんでもあること。 かきかきしたいと思っちゃったのさ。

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バンフにきてから5ヶ月、カナダにきてから8ヶ月がたちました。

先月の23日に、めでたく24歳をむかえまして、母がわたしを生んだ歳になったわけでございます。母とわたしの人生を平行に並べてみますと、この時点でまったく別の人生を歩んでいるわけですが。やはり父と母が出会い、母が24歳でわたしをみごもってこの世に送り出してくれなければ、わたしはいないのだと毎年改めて思うわけです。と同時に、わたしはいまや、ひとりの人間を生み育てることのできる身体には成長しているんだなあ、、、とも思うわけで。
が、どう事実をひねったって、わたしはいまカナダにおり、母とは別の選択をし、生きているわけで、どうにもこうにも、子どもを授かれそうにありません笑。…母親の結婚・出産がはやいと、それなりに娘は考えこみ、自分自身をみつめてみるものなのかもしれませんね。
とにもかくにも、おめでとうって祝ってくれたみなさん、ありがとうございました。「誕生日おめでとう」っていわれるの、何歳になっても幸せです。

 


で、ですね。
わたし、セカンドジョブを始めました。働くということについていろいろ考え、いましか自分の好きなように働ける時期はないんだよ、とたくさんの方からアドバイスをもらい、「うん、そうだな。きっとそうなんだろうな」って思ってほぼほぼ納得していたころに、お話をいただきました。
これまでも、ご縁があればやろう、ということでいくつかのお店にレジュメを送っていたり、上司にかけあってもらってたりしてたんですが、いっこうに決まらず。というのも、お金が欲しい、というよりはもうひとつハウスキーピング以外の仕事の経験をしてみたい、という思いからセカンドジョブを探していたので、いままでやったことのない飲食店しばり。そんなわけで、いくら飲食店といえど皿洗いの仕事も枠外へ(なぜならきっと、ハウスキーピングと内容は変わらないだろうから)。
というわがままを言っていたら決まるはずもなく。でも決まらなかったら、それはそれで縁がなかったということで諦めようと思ってたんだけども。それはそれは不思議なご縁で、タイミングも条件もばっちり、なところを紹介していただいた。

お仕事の内容は、お客さんが食べ終わったお皿をさげる、「バッサー」という仕事。きっと大きなお店だと、お皿をさげることだけに集中してたらいいんだと思うんだけど、うちのお店は30席くらししかないので、わたしが食事も出す。お酒もだす。コーヒーもだすし、メニューもだす。なんならキッチン補助のような、手羽先の重さを測って小袋にまとめたり、ミンチを測ったり…。なんだ、なんでもやるのか、ここは!!
当たり前だけど、ハウスキーピングよりもお客さんとの距離が近いのと、お客さんはほんとに外国人ばっかりなので、バーカウンターに座る常連さんと話すこともしばしば。慣れない仕事だから緊張の連続ではあるのだけれども、でもそれに加えていいこともついてくる。

ひとつめは、やっぱり英語を話す環境がぐっと増えること。お客さんにしても、キッチンに入ってるひとにしても、英語じゃないとコミュニケーション絶対とれない。いままで、ホテルでしか使ってこなかった英語も、他の場所でだってちゃんと通じるんだ、ということを知って、「あ、わたし話せるようになってる」って実感できる。なかには、わたしの英語を直して、正しい文にしてくれるやさしいお客さんまで。

ふたつめは、ハウスキーピングの仕事は、飲食店への応用が利くということ。例えば、ホテルの掃除してたらグラスも拭くし、テーブルだって拭く。それがそのまま、お店のグラス拭きやテーブル拭きにつながる。テーブルのセッティングだって、普段ホテルでシャンプーやリンスを置いたりするセッティングと似てる。お客さんが何を必要としているのか、食事が終わったかどうか気をつけて観ているのも、ホテルの部屋で何が足りなくて何が必要なのかを頭にいれて掃除するのと似てる。ハウスキーピングの仕事ができるようになったからって、日本に帰ってもどんなメリットがあるんだろう…って密かに思っていたけれど、わりと、他の仕事にも生かせるものなのかもしれない。

あとはふつうに、飲食店っておもしろい。料理をつくるひとがいて、出すひとがいて、さげる人がいて、食器をあらうひとがいて。それぞれが食べ物をつないでいって、お客さんに届いて、それがまた返ってくる。お店に来たひとのそれぞれの胃袋のなかに、わたしが出した食事が入って、そのひとのエネルギーとなる。食べるって生きることだもんなあ〜…ってあたらめてしみじみした。

 

とにかく、環境を変えるだけで、自分のことを客観的にみることができるんだなあ、と思う。いい気分転換になるだけでなくて、自分になにができなくて、なにができるのかが浮き彫りになる。そんなところは留学に似てる。
自分が「できない」って思い込んで怖がっていたことも、思い切って一歩ふみだしてみたら、そこまで怖くなかった、ってことがこのカナダ生活でたくさん起きている。わたしは自分で「接客業」と呼ばれる仕事は向かないって思っていて、そういうバイトを避けてきた。自分には愛想がないし、気も利かすこともできないし、人のほしいものがなにか想像することが苦手だし…。それを、まさか外国でするなんて、わたしにとって怖いのなんのって。でも、やってみよう、って踏み込んだら、思いのほか楽しかった。苦手だけど、苦手なりにやれることはやろう、ってやってみるだけで全然違うのかもしれない。
不思議だけど、こういうことの積み重ねで、わたしはちょっとずつできることが増えてきている。そのたびに、知らなかった自分に会えて、自分のなかで手探りだった部分がだんだんはっきりしてくる。

そんなわけで、自分が思い描いていた「ひらしまゆうか」という人間がぐにゃぐにゃ変化して、またちょっと違った「ひらしまゆうか」になってきているように思う。それに伴って、自分がなにをして生きていきたいのか、カナダから帰った後どうしたいのかがわりとはっきりとみえてきた。そうなった瞬間、自分の芯がしゃんとして、すっと目の前の道がひらけて「うん、これだ」と久しぶりに思えた。高校生から願い続けていた長年の、留学という目標を達成しつつあるいま、すこし宙ぶらりんだったわたしの芯はカナダ生活残り3ヶ月にしてようやく落ち着きをみせた。はあ、なんだかほっとした。もやもやを抜けるときの快感はいつだって爽快です。

夏まっさかりのバンフ。夜22時をすぎても薄暗いのでえらく長い1日を過ごしている気分です。そんなこんなでなんとなく寝不足な毎日。でも元気!今月ものらりくらりやっていきます〜

るんたった るんたった。