めぐるぐる日々。

わたしの日常をつらつらと。

日々の、なんでもないこと。でも、なんでもあること。 かきかきしたいと思っちゃったのさ。

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あれよあれよといっている間にインドネシアにきて、来月で丸ごと3ヶ月が経とうとしています。今日で6月が終わるっていうんで慌ててかたかた打ってます。

日本にいるときは、カナダにいたときみたいに月1の更新ができるかなあと思っていたのに、仕事から帰ると腹がすき、ご飯をつくったら眠気がやってきて、やっとのことでお風呂に入り、死んだように眠るというサイクルから抜け出せず、気づけばもう7月がそこに迫っています。
…恐ろしや。自分の誕生日になんの記録も残さないのは、過去はじめてかもしれない。…というのは大げさかもしれないけれど、嵐のように過ぎ去った毎日だった。。。

そんな毎日だったけれども、インドネシアでのわたしの暮らしを衣食住の言葉を借りて、すこしだけご紹介できればと。

まず衣から!服は、だいたい学校のポロシャツとUNIQLOのズボンで仕事しているので困らない。特におしゃれして出かけるところもないので、休みの日でも半袖とジーパンでだらだら。毎日あついので半袖が基本だけど、クーラーの効くところでは長袖とストールが必須。寒がりのわたしは常に足首ウォーマーと靴下を持ち歩いております。あと、パーカーね。日よけにもなるしね。街の女性はイスラームの方が多いのでストールを頭に巻いてるひとが多いかなあ。ちなみにこっちでは、スキニージーンズが主流です。いま日本はどっちなんだろう…

食は、結構なんでも揃ってます。日本スーパーもあって内容も充実しているし、インドネシアはアジアということもあってか、日本人好みの調味料が多いように思う。あとフルーツは大きな棚にモリモリ積まれていて、測り売りされてます。マンゴーやら得体のしれないフルーツがどっさり。最近は、ドリアンの姿も。トマトやじゃがいも、たまねぎもあるし、豆腐もあればもやし、チンゲン菜や白菜、キャベツもほうれん草も売っています。ただ、日によって、入荷されていない日、野菜がこれでもかってほどくたっとしている日があるので、見つけた日に買うということが大事。お肉や魚もあって、鶏、豚、牛そろっております。インドネシアイスラム教徒の多い国なので、豚肉料理があまりありません。豚肉専用のコーナーがあって、他の肉コーナーと区切られています。お肉も測り売りなので、「何グラムくださいな~」とおにいちゃんにいって値段を貼ってもらいます。(最初はとっても数字いうのに苦労した)米は、長くてぱらぱらの米と、こちら独特のにおいだけを残した、日本でも食べられる粘り気のある米があります。でもやっぱ日本米がいちばんうまい。

住まいは、コスと呼ばれるシェアハウスのようなところに住んでいます。玄関はひとつ。一人一部屋が割り当てられていて、共同のキッチンがある。お皿やコップも使えます。そして、洗濯と部屋の掃除をしてくれるおばさんがいます(月に800円払えば、平日は毎日!)。なんとアイロンもかけてくれるという!仕事して帰ってきて洗濯しなくていいのは、もう全然ちがう。部屋にはトイレと洗面台、バスタブがあって、あついお湯がでます(これ、インドネシアで住むにあたって一番気にしていたところ。わたしの初インドネシア風呂はシャワーなしの水風呂だった)。冷蔵庫が部屋になかったので購入。家賃は、この地域にまだ日本人が住めるような賃貸が充実していないのに、日本人や韓国人が多いので高め。長野市松本市の、学生が住むような部屋のほうが設備もよくて安いと思う(原アパートに関してはノーコメント)。

総じてインドネシアでの生活は、近くに韓国スーパーがあったり、目の前にローソンがあったりして暮らしやすい。だけどひとりで歩いてどこかにいくのは難しく、遊ぶところはとくにない。買い物も車と運転手がいないと行けなかったり、自由があまりきかない。すこし気をぬくと、部屋にアリの行列ができていて、その先にはわたしの大事なシリアルにつながっていたり、はたまた溶けたあめちゃんにつながっていたりする。ふと部屋の壁をみるとつぶらな瞳でこちらを見てくるヤモリちゃんと目が合う。そんな、インドネシアっぽい(?)いろんな生き物といっしょに寝る生活。

暑くて寝れない日や、もやもやする日、泥のように眠る日いろいろある。だけどもここではとても気持ちいい風が吹くし、洗濯物はすぐ乾くし、晴れの日が多い。日々この国のこの土地で生きていること、電気水ガスが使える生活ができていることに感謝です。とりあえず停電に慣れつつある今日この頃。(懐中電灯はいつの時代も便利)


あとはすこしずつインドネシア語を。。。勉強せねば。。。

夏、日本にすこしかえります〜

 

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カナダから旅立って1ヶ月すぎ、日本に帰ってきて1が月とっくにすぎました。

バンフのあの寮を去ったのが8月28日だったのが信じられない。だって、あの日からこの日まで、ほんとにあっという間で、カナダに住んでたことなんて夢だったんじゃないか、って本当に思ってしまうくらい、日本に帰ってきたらあっけなかった。
自分がここに1年間いなかったことなんて、誰もしらなかったんじゃないか、ってくらい、わたしが日本にいることは当たり前みたいだった。
あれほど、自分のほうからは日本を求めていたけど、日本側はべつにわたしのこと、恋しくなかったみたい。みんなそれぞれ忙しくて、わたしがカナダにいた1年があっという間だったみたいに、みんなにとっての1年も、あっという間だったにちがいない。

よく、カナダから帰ってきてなにか変わったか?って聞かれる。よく聞かれる質問なので、わたし自身もよくよく考えてみるのだが、いまいち「これだ」というものがみつからない。
例えば、道に迷っている外国人に対して英語で気楽に話そうと思うようになった、だとか、何事にも恐れず物事を実行するようになっただとか、そんなことが言えるようになっていれば、1年海外に住んだものとしてふさわしい言葉なのかもしれない。実際、わたしにもそういう部分が芽生えていないわけじゃないのかもしれない。だけど、実感と自信をもって、「わたしはこれができるようになったーーー!」と、声高々にいえることって、ほんのすこしなような気がする。いや、あるのかさえ、わからない。これほんとに、ほんとの話。

海外に行って、住んでみたからって、わたしは前と同じ。いっぱい悩んで実行するかどうか迷って、結局やる気になったりならなかったり、を繰り返している。たぶん、「変わった」ことを数えるよりも、「気づいたこと」とかのほうが多い。そしてそれって、あとから「そういえばさ~」って実生活を過ごすなかでぽろぽろ出てくる気づきが多くて、いまばばばばっと描けるものじゃないのかも。

それでも自分が変わったなあと思うところ。…ちょっと書き出してみる。

 

ひとつめ 価値観がぶっこわされたことによる、受容領域の広がり。
1年前の自分は、例えば、たばこやマリファナを吸うひとやギャンブルをするひとたち、タトゥーが入ったひとたちをみると、「自分と接点のないひとたち、または尊敬できないひとたち」というレッテルを貼っていた。あんまりその行為をする人たちの行動の意味がわからなかったし、なんでそういうことするんだろう、それって必要なのかしらって思ってた。でもカナダではマリファナは合法だしタトゥーなんて入ってないひと探すほうが大変なくらいみんな自由にいれている。で、出会った人たちはべつに極悪なひとではなく、一個の人間だったし、全部たのしんでいた。そして、なんかクールだった。だから、たばこ吸おうがマリファナ吸おうがタトゥーはいってようが、そのひとはそのひとだ。そう思うことが、やっとできるようになった。なんだかんだ、最後にはわたしもタトゥーいれよっかな、って思うくらいに。

 

ふたつめ 自分は自分、という考え方
これは、さっきの逆になるかもしれないけれど、そのひとがそのひとなんだったら、自分は自分だ、という考え方になった。…と思う。相変わらず、引きこもり体質で弱気な自分には変わりないんだけど、そんな自分も自分であるということ。そしてそういうひとは、日本人だけでなく、ちゃんと海外にもいて気のあうひとは、国境をこえても気が合うということ。逆に、合わないひとは同じ日本人であっても、気があわないということ。それが心にしみてわかったので、友達づくりやひととの関係づくりにおいてあまり無理をしなくなった(もともと、あまり無理するひとではなかったけど、気をつかうのをやめた。でもこれは、けして、ひとをないがしろにするっていう意味じゃない)。

みっつめ ライフプランの見直し
この2点をふまえて、わたしの人生計画は(あってなかったようなものだけど)もっと柔軟になった。日本と海外の価値観の良いところだけを受け継いで、どうにか楽しく働きながら生きていきたいと奮闘するつもりだ。お金はもちろんほしいし、人生のパートナーもほしければ子どもだってほしい。だけどそれを縦の線で時系列的に考えるんじゃなくて、ぜんぶの要素を机のうえにばらぁっとばらまいて、いつでもそれを選択できるように物事をみていきたい。いまいち、生き方について正しさとかはわからないけれど、たぶんわたしが生きてるからわたし色にしかならないとおもう。どうしたって。

 


カナダにいって、ずいぶん働くってことについて考えた。で、日本に帰ってきて働きはじめて、やっぱり考えつづけている。ああもう。でもちゃんとひとりのおとなとして、人間として働きたい。自分をいかして、はたらきたい。


まあそんなこんなで、いろいろぐるぐるしている頭んなか。
「書く」ひとでありたいなあ、とおもいつつ、「書く」ってなんてエネルギーがいるんだろうっって毎回思わされる。身を削るようにかく。さらけだしている。だけど、好きだ。書いていけたらいいのにな。

11月にはいったなあ。大阪も寒め。毎日、ある程度楽しい。生きている。
もう街はクリスマスに染まりつつある。…急ぎすぎな気がする。気分が急かされる…。

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バンフにきて8ヶ月、カナダにきて11ヶ月。
ついに、カナダを去る日を迎えまして、9月4日にカナダを出国いたしました。

トロントプリンスエドワード島カルガリーの順でぐるんと東側をめぐり、スペインのバルセロナから入国しまして、いまはすこし南にくだったところ、バレンシアに移動してきました。
プリンスエドワード島の、どこまでも続く青空とみどりの原っぱを目に焼きつけ、思い出をしっかり心に留め。いまははスペインの灼熱の太陽のもと、バンフとは全然ちがう建物に気候、言葉や食べ物を目の前にわくわくもし、不安も感じる旅の途中です(だってバンフでは雪が降ってましたからね〜。ここは昼間平気で34度)。

これから3日間はスペインを南にくだっていって、じりじりとアフリカ大陸にちかづいて、それから念願のモロッコに船で入国予定です。

わたしにとって初のヨーロッパ1カ国目、スペインの建物たちのSEXYさったらありません。全部色っぽくてほれぼれしてしまう。ちゃらちゃらしたかっこよさじゃなくて、どしんと構えた、かっこよさ。わたしは建築のことはこれっぽっちもわからないけれど、建物をみていて全然飽きない。ぐいぐい見ればみるほど、発見があっておもしろい。日本の建築物のなかでこの先何百年とのこる建築ってどれくらいあるんだろう。こんなふうに色っぽいって思える建物がどれくらいあるだろう。そしてわたしはその建物にどれくらい会ってきただろう。なんて、考えました。

 

っていうのを3日前にかいて、いまは無事、モロッコのシャウエンについております。
シャウエンは建物の壁や植木鉢、お墓なんかも青色に塗られた、青い街。小さくて山にそうように建てられた街なので標高が高く、朝晩は長袖がほしいなあ〜っておもうくらいの寒さに。昼間は日差しが強くてサングラスをしててもまぶしく感じるくらい。
その前に滞在したタンジェの港町よりも落ち着いてて、ひとはいい。あまりしつこく勧誘もしてこない。

ちょうどわたしたちが到着した日がラマダンというお祭りの前日で、大量の羊やヤギが街に運び込まれてきてた。街中で「べえええ」「ばあああ」って羊たちの声が。朝にはこの子たち、ほふられて食べられる運命。これが命のサイクルよのぉ、なんて思ってたけれど。朝、あきらかに昨日きいてた鳴き声とは違った羊たちの悲鳴で起きた。

なんだなんだ、とおもって窓から下をのぞいてみたら、男のひと2人に取り押さえられた羊。むらがる子どもたち。ナイフで首を切られて血抜きされる羊。真っ赤な血が流れて排水溝へ流れる。なぜか流れた血をかかとに塗る男たち。そばでみていた男の子が首をもって、手伝う。女の子たちは手を出さない。血が流れ続けてもすこし抵抗する羊だけど、だんだん力がぬけてあまり動かなくなる。お父さんが羊の頭を解体して、頭のない羊だけが取り残される。羊はお父さんと男の子にひきずられて、家のなかにはいっていってしまった。ふと他の家をみると、もう毛皮を外されて肉塊になった羊がつるされていた。

昼頃まちにでてみたら、いたるところに羊の毛皮や内臓がまとめられて捨ててあった。街中に羊が焼かれたにおいでいっぱい。それぞれの家で少なくとも1匹の羊やヤギが、それぞれのタイミングでほふられて、つるされて、内臓だされて食べられたに違いない。午後にはまったく、ひつじたちの声は聞こえなくなったんだもの。…ちょっとこわい。

シャウエンからフェズに移動し、マラケシュに移動したのち、カサブランカから飛行機に乗る予定のわたしたち。
いま現在は、マラケシュにいて念願のサハラ砂漠にいきますよ!
すでにいろいろぼったくられ気味で、なんだか嫌になってますよ!
だけどもなんだかんだで、おいしいもの食べて、たのしんでますよ!

そんなこんなで、濃い旅を続けております。
プリンスエドワード島からはじまって、のんびり幸せな日々を送り、暮らすように島をまわって、バンフとはちがった自然に心あらわれたかと思えば、スペインの建築と食べ物に圧倒され、モロッコのよくわからない文化に翻弄されるという。
来週の後半には、日本についているのかと思うと信じられないところではありますが。確実に日本に近づいております。
東京についてすこしのんびりしたら、さらにのんびりしに長野へいきます。だいすきなひとたちが住んでるまち!

あー、はやく山かけとろろ牛丼たべたいなあ。

 

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バンフにきて7ヶ月、カナダにきて10ヶ月がたちました。
この前のブログ更新から何週間しかたってない。けどもう8月に入ってしまったんです。なんてこった。しかも中旬。なんてこった。いや、これは下旬か。なんてこった!

バンフは夏まっさかり!って言いたいところですが、なんやかんやで20〜25℃の気温をキープしつづけていて、天気の悪い日は10℃ちょっとくらいにしかならない日も。昼間はとてもいい天気で真っ青なお空がみえていても、夕方になると雲行きがあやしくなって風がでてきて雨がふる、なんてことも。やっぱり山なんですね。

先日、Abbot hut passに登ってきました。はじめてのお山でお泊まり。2日分の食料と寝袋と水とを担いで2925mのお山に挑戦。日本でもちゃんとした山にのぼったことがなかったひらしま。山は好きだけど、ちゃんと登って、ごはんを食べて、泊まったことがなかった。でもずっとしたいなあ、できたらいいなあって思ってたらここバンフで実現したわけです。

旅とは違って、ゴールは山のてっぺん。疲れたからって途中の宿で休めない。ひたすら自分の脚で登っていくしかない。自分にのしかかってくる荷物の重みと体の重み。だんだんバックパックと自分のからだが一個になって、きついなあ、ゴールあんのかなこれ〜…って思いながらひたすら登る。下をみたらなかなかの高さで、これ転げ落ちたらえらいこっちゃなあ…って想像しただけでも冷や汗。
でも降りるわけにはいかない。足元にある無数の石ころ。踏み出せどもふみだせども足元からくずれて前に進まないがけをひたすら上がっていく。いつの間にやら崖のふもとの人間たちはありんこのように小さい。ああ、こんなところきてしまったって思ったら、着いた。さっきまで雲でみえなかったてっぺんが、ゴールがみえて、着いた。

下山して、その日から足の筋肉痛がひどかったけど、あの景色はわすれません。
湖の青さも、山のごつごつ感も、こっから転げ落ちたら死んじゃうかも、っていう怖さも、雪のそばで寝る寒さも。山小屋の暖炉のあたたかさも、雪解け水の味も。そして、いっしょに寝袋でいもむしみたいに寝たあの夜も。すてきな仲間といけてよかったな〜ほんとに。出会えてよかった〜。

ってこのバンフの思い出をふりかえりますと。
あれだけ帰りたかったのに、バンフの自然も、バンフのともだちも恋しくって、離れるのがさみしくって。
ひたすらシーツをひきつづけたこのベットとも、磨きにみがいたバスルームともお別れかあ…なんて思ったら、シーツをひくこの腕も引き締まるというか。せっかく掴んだこのシーツひきの技を忘れたくないなあ、なんて思っちゃうから不思議です。言葉にするにはすこし複雑なんやけど、帰りたい。でも帰りたくないんです。
いま、いちばんバンフが楽しい。帰るときになって、出会うひとたちがいいひとたちすぎる。時間がたりない。えらいこっちゃー!


カナダにきて、自分はどれだけ変われただろうかとか、そもそもの目標はどうだったっけとかたくさん考えたけれど。いまわたしはとても自分の留学に満足していて、それでいて燃え尽きてしまうわけでなく、次にどうしたいかの選択肢を選ぼうとしてる。
実のところ、この留学が自分の長年の夢だっただけあって、この先の目標なくなっちゃったらどうしよう、って思ってて。で、実際そういう時期もあったとおもう。何しに来たんだっけー、みたいな。でもちゃんと、ひとつずつ見えてくる。焦ったり、迷ったり、嫌になったりしながらでも、自分のなかでいろんな選択をして、選びとって、決めてきたんだなあとおもう。

だからといって、すべての選択肢が自分に依存しているとは思わないし、自分で選択したからすべて良い方向にいくと思ってるわけじゃない。
それぞれの条件と、環境と、自分のきもちとのバランスで(なんなら自分のきもちをすべて汲み取った選択肢なんて少ないのかもしれない)、うまくいったりうまくいかなかったりする。どうがんばっても開かない道もあれば、ぱっと開ける道もある。それがおもしろい。

わたしはこの留学が実現するまでに、ずいぶんくねくねと道をいったりきたりした。自分が留学したいはずなのに、できる条件なのに、何かと理由をつけて出発を遅らせたりした。それまでは、留学したい自分のきもちを押さえつけてくる環境に文句をいって、不満をいってきたけど、いざ「留学にいける」ってなったときに怖気付いたのは自分だった。その背中を押したのは何だったかわからないけど。
ぜんぶ、自分が選んできたわけじゃない。ぜんぶ、自分が決めて、自分で成し遂げたわけじゃない。怖がった自分、失敗した自分、緊張した自分、恥かいた自分。いっぱいいた。わたし、ふつうの生身の人間。人間なんだな〜。


そんなこんなで、先日セカンドの仕事を終えて、ハウスキーピングの仕事を来週に終えようとしております。いろんなひとを見送ってきたけれど、いよいよ自分の番がきたみたい。天国からのお迎えがくるみたいな、静かなきもちで迎えようとしております。
決して、「はやかったなあ」なんていいたくないくらい濃い日々たち!残りの日も、たいせつに。

9がつまであともうすこし。

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バンフにきてから6ヶ月、カナダにきてから9ヶ月がたちました。

夏まっさかりのバンフから一変して7月のバンフは雨模様。朝夕にさらさらと細かい雨が降ったかと思ったら、ここは熱帯雨林かとおもうほどのどしゃぶり雨がふったりと、天気がよくありません。
そんな天気にやられてか、なんだか今日は仕事はお休みだけど、何もしたくないなあ、やる気が起きないなあ、っていうだらだら日。こうやってぱちぱちパソコンを打っているこの時も、もやもやしているしだいです。
きっとアメリカ旅行を終えて、ちょっと燃え尽き症候群というか、気がぬけちゃったんだともおもいます。ああ、アメリカよかったなあ。
そう、アメリカに行ったんです。夢のantelope canyon, grand canyon、、、どこまでもつづく赤土の大地。灼熱の太陽と、ごっつごつの岩。もはや本物か本物じゃないのか、いまいち自分がなにを見つめているのかわからないくらいの大きさで迫ってくる、大自然。ほんとに行ってよかった。いけてよかった。ほんとに感謝です。

まだまだ自分の目でみたいもの、行ってみたいところ、いっぱいある。だけど世界はまだまだ平和じゃなくて、むしろひどくなる一方で、女であるわたしはひとりで自由に世界を飛び回ることが難しいのだそう。なんだか嫌になっちゃう。(もちろん、女でよかったと思えることもたくさんあるけどね)

7月にはいったということは、カナダ生活もあと残り2ヶ月。9月の始めに仕事を辞めて、友だちと旅にでる計画のひらしま。このままハウスキーピングの仕事とバッサーの仕事をして、山に登り、本を読んで、映画をみていたら、きっとすぐ目の前に現れる帰国の日。
実感という実感はまだないけれど、やり残したことってないっけなあ…と、自分の身のまわりをぐるぐる見回す。

去年の10月に日本を発って、長年の夢だった留学のテープを切った。そして今日この日まで、わたしはカナダで生活していて、お金を稼いで、遊んだりしつつ走り続けている。英語はだいぶ話せるようになったのかもしれないけれど、まだまだ一回で聞けないところ、間違ってきいたところ、言っていることわかんないのに「YES」っていっちゃう癖はぬけない。その度に、「ああ、、、わたしってば、ほんとにまだまだなのよね、、、」ってため息つく。こりゃ日本かえって、「本気」で勉強しつづけないと、力はぬけていく一方なんだとおもう。はううう。。。

でもやっぱりここにきて立ち返るのは、ここでできることをやれるだけやろう、ってこと。無理をして背伸びをするのでなく、ここで感じられる空気やひかり、温度のちがいや言葉のちがい。ここで食べられる野菜やくだもの、お肉やお菓子。そういったものを、存分に感じよう。今まではもったいないとおもって財布のひもを固くしていたところを、すこしだけ緩めて。「今だからできる」そして、「これからにつながる」かもしれないことやっていく。
まだ遅くないはずだから。

山に登り、小屋に泊まり、朝をむかえる。コーヒーをのむ。また歩く。

これ、やりたかったこと!ついに来月その夢が叶いそうです。
うふふふふ。
それまで、こつこつ日々をすごしてゆきます。(最近、週6で働くのがふつうになってきた…)


そうそう、この前お母さんとゆりなが会いに来てくれた〜
やっぱ家族、よいな〜お母さんのごはんおいしかったなあ〜
って思ったら、やっぱり日本もすっごく恋しくなりましたとさ。




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バンフにきてから5ヶ月、カナダにきてから8ヶ月がたちました。

先月の23日に、めでたく24歳をむかえまして、母がわたしを生んだ歳になったわけでございます。母とわたしの人生を平行に並べてみますと、この時点でまったく別の人生を歩んでいるわけですが。やはり父と母が出会い、母が24歳でわたしをみごもってこの世に送り出してくれなければ、わたしはいないのだと毎年改めて思うわけです。と同時に、わたしはいまや、ひとりの人間を生み育てることのできる身体には成長しているんだなあ、、、とも思うわけで。
が、どう事実をひねったって、わたしはいまカナダにおり、母とは別の選択をし、生きているわけで、どうにもこうにも、子どもを授かれそうにありません笑。…母親の結婚・出産がはやいと、それなりに娘は考えこみ、自分自身をみつめてみるものなのかもしれませんね。
とにもかくにも、おめでとうって祝ってくれたみなさん、ありがとうございました。「誕生日おめでとう」っていわれるの、何歳になっても幸せです。

 


で、ですね。
わたし、セカンドジョブを始めました。働くということについていろいろ考え、いましか自分の好きなように働ける時期はないんだよ、とたくさんの方からアドバイスをもらい、「うん、そうだな。きっとそうなんだろうな」って思ってほぼほぼ納得していたころに、お話をいただきました。
これまでも、ご縁があればやろう、ということでいくつかのお店にレジュメを送っていたり、上司にかけあってもらってたりしてたんですが、いっこうに決まらず。というのも、お金が欲しい、というよりはもうひとつハウスキーピング以外の仕事の経験をしてみたい、という思いからセカンドジョブを探していたので、いままでやったことのない飲食店しばり。そんなわけで、いくら飲食店といえど皿洗いの仕事も枠外へ(なぜならきっと、ハウスキーピングと内容は変わらないだろうから)。
というわがままを言っていたら決まるはずもなく。でも決まらなかったら、それはそれで縁がなかったということで諦めようと思ってたんだけども。それはそれは不思議なご縁で、タイミングも条件もばっちり、なところを紹介していただいた。

お仕事の内容は、お客さんが食べ終わったお皿をさげる、「バッサー」という仕事。きっと大きなお店だと、お皿をさげることだけに集中してたらいいんだと思うんだけど、うちのお店は30席くらししかないので、わたしが食事も出す。お酒もだす。コーヒーもだすし、メニューもだす。なんならキッチン補助のような、手羽先の重さを測って小袋にまとめたり、ミンチを測ったり…。なんだ、なんでもやるのか、ここは!!
当たり前だけど、ハウスキーピングよりもお客さんとの距離が近いのと、お客さんはほんとに外国人ばっかりなので、バーカウンターに座る常連さんと話すこともしばしば。慣れない仕事だから緊張の連続ではあるのだけれども、でもそれに加えていいこともついてくる。

ひとつめは、やっぱり英語を話す環境がぐっと増えること。お客さんにしても、キッチンに入ってるひとにしても、英語じゃないとコミュニケーション絶対とれない。いままで、ホテルでしか使ってこなかった英語も、他の場所でだってちゃんと通じるんだ、ということを知って、「あ、わたし話せるようになってる」って実感できる。なかには、わたしの英語を直して、正しい文にしてくれるやさしいお客さんまで。

ふたつめは、ハウスキーピングの仕事は、飲食店への応用が利くということ。例えば、ホテルの掃除してたらグラスも拭くし、テーブルだって拭く。それがそのまま、お店のグラス拭きやテーブル拭きにつながる。テーブルのセッティングだって、普段ホテルでシャンプーやリンスを置いたりするセッティングと似てる。お客さんが何を必要としているのか、食事が終わったかどうか気をつけて観ているのも、ホテルの部屋で何が足りなくて何が必要なのかを頭にいれて掃除するのと似てる。ハウスキーピングの仕事ができるようになったからって、日本に帰ってもどんなメリットがあるんだろう…って密かに思っていたけれど、わりと、他の仕事にも生かせるものなのかもしれない。

あとはふつうに、飲食店っておもしろい。料理をつくるひとがいて、出すひとがいて、さげる人がいて、食器をあらうひとがいて。それぞれが食べ物をつないでいって、お客さんに届いて、それがまた返ってくる。お店に来たひとのそれぞれの胃袋のなかに、わたしが出した食事が入って、そのひとのエネルギーとなる。食べるって生きることだもんなあ〜…ってあたらめてしみじみした。

 

とにかく、環境を変えるだけで、自分のことを客観的にみることができるんだなあ、と思う。いい気分転換になるだけでなくて、自分になにができなくて、なにができるのかが浮き彫りになる。そんなところは留学に似てる。
自分が「できない」って思い込んで怖がっていたことも、思い切って一歩ふみだしてみたら、そこまで怖くなかった、ってことがこのカナダ生活でたくさん起きている。わたしは自分で「接客業」と呼ばれる仕事は向かないって思っていて、そういうバイトを避けてきた。自分には愛想がないし、気も利かすこともできないし、人のほしいものがなにか想像することが苦手だし…。それを、まさか外国でするなんて、わたしにとって怖いのなんのって。でも、やってみよう、って踏み込んだら、思いのほか楽しかった。苦手だけど、苦手なりにやれることはやろう、ってやってみるだけで全然違うのかもしれない。
不思議だけど、こういうことの積み重ねで、わたしはちょっとずつできることが増えてきている。そのたびに、知らなかった自分に会えて、自分のなかで手探りだった部分がだんだんはっきりしてくる。

そんなわけで、自分が思い描いていた「ひらしまゆうか」という人間がぐにゃぐにゃ変化して、またちょっと違った「ひらしまゆうか」になってきているように思う。それに伴って、自分がなにをして生きていきたいのか、カナダから帰った後どうしたいのかがわりとはっきりとみえてきた。そうなった瞬間、自分の芯がしゃんとして、すっと目の前の道がひらけて「うん、これだ」と久しぶりに思えた。高校生から願い続けていた長年の、留学という目標を達成しつつあるいま、すこし宙ぶらりんだったわたしの芯はカナダ生活残り3ヶ月にしてようやく落ち着きをみせた。はあ、なんだかほっとした。もやもやを抜けるときの快感はいつだって爽快です。

夏まっさかりのバンフ。夜22時をすぎても薄暗いのでえらく長い1日を過ごしている気分です。そんなこんなでなんとなく寝不足な毎日。でも元気!今月ものらりくらりやっていきます〜

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バンフにきてから4ヶ月、カナダにきて7ヶ月がたちました。

先月のvacationを終えて、バンフにもどってきました、ひらしまです。
ここのところバンフは、爽やかな晴天のまいにち。木々はあおあおと茂って、すうーっと湿気のない風はとても気持ちよく体を通り過ぎていく。空は真っ青でその空に届きそうな、でっかい山。湖や川も凍って真っ白だったのが、だんだん溶けてきて透明のエメラルドグリーンに。

夜の9時を過ぎても明るいので、仕事がおわったあとでものんびり散歩にでかけたり、外の公園で読書が気持ちよくできる。日本の公園のベンチでひとり、本とか読んでたら「なんだろう、あのひと」ってなるかもしれないけれど、バンフだとそれが日常のようで。どうやってそんなところにこれたの、っていうくらい急な斜面のところに腰かけてお酒のんでるひと、友達とおしゃべりしているひとがちらほらいる。
外国にきたなあ、自由だなあ、って深呼吸ができる。そんな5月のはじまり。
ジーパンにビーサンはいて、ぺたぺたあるく。

そろそろこんなにあったかくなってきたし、ってことで冬物のセーターたちを洗いまくった。7月に家族がきた時に持って帰ってもらおう、っていそいそとパッキング。必要なものはしっかり圧縮袋にいれて、カナダでさよならする服たちはとりあえず保留ということでタンスにしまう。
これで夏だー!!半袖だー!!
って思ってたら、お山に再び雪が。ある朝、お山のてっぺんにほとんどなくなってた白い部分が復活していたのだ。さすがバンフ。さすが雪国。長野かここは、まじで。
GW過ぎたからって油断しちゃだめなんですね。

さてさて。
先月から働くってなんやろか、ってことを考えていたんだけれどもね。
同じホテルに働く外国人たちって、やっぱ働くの嫌がるのね。日本人たちは労働時間が長くなっても、わりと同じスピードで働けるし、弱音もはかないし、すいすいやる。けど外国人たちは、ゆーっくり時間かけるわりには部屋をきれいにできないし、わりと適当。そしてはやく帰りたがる。君たち、お金稼がなくていいの?って思うし、うちら日本人よりはるかに外に遊びに出かけている(パーティやパブ、クラブなど)のに、仕事はやく終わりたいってどういうことやねん、と。
で、あるとき、スペイン人の男の子に聞いてみた。
「セカンドジョブしないの〜?」って。軽い気持ちで。
だって、日本人たちのなかでは、主にしている仕事の他に、第二の仕事としてセカンドジョブをすることがけっこう当たり前になっているから。

それで返ってきた答えが。

「何言ってんの、ゆうか。俺ら毎日フルタイムで働いてんじゃん!なのに、なんで他に仕事しなきゃいけないの!」

お、おう。せやな。って答えるのが精一杯。

うちらの仕事は、朝の9時から始まって、休憩をいれて、だいたい16時〜17時くらいまで。遅い時で18時まで。計算すると、まあだいたいフルタイム?くらいの時間働いている。これでセカンドジョブを加えると、18時〜22時くらいまで働くことになるわけだけど。このスペイン人くんからすれば、なんで1日の半分以上働かなきゃいけないんだ!っと怒っていたわけである。で、結局その子はこの仕事を辞めていったわけだけれど(理由は、もっと太陽の光と休みを求めて)。

なにもこの発想は、スペイン人くん独自の発想というわけではなく、主に北米、ヨーロッパあたりの出身者はだいたいこのような考えが基本的にあるような気がする。仕事であっても、「Have fun!」がだいじ。休憩時間はおもいっきり休憩する。仕事がはじまっても、休憩。がんばる、とか、身を削る、なんてことはしない。(いや、彼らなりにしているのかもしれないが。)
日本で不真面目っていわれているあなたや、頼りにならないって思われているあなたも、こっちにきて仕事したら嫌でも自分の真面目さに気づくことになるでしょう。日本人は、自分たちがおもっている以上に、真面目です。
だからね、仕事っていう名詞のかちかちした文字がね、こっちにきてなんだかゆるっとしたというか。もうすこし、楽しいものに考えてもいいのかなとおもった(日本に帰ったらそんなこといってられないのかもしれないけれど)。


こちらにきて、8ヶ月目を過ごしている自分に驚きつつ、帰国の文字がそろそろはっきりしてきたので焦りも感じつつ。
帰国してからの自分の進路もなんとなく見えてきたような、見えてないような。
ただ、自分が持っているキーワードみたいなものは、はっきりしてきている気がする。
だからそのキーワードをうまく使いながら模索していければいいなあ。

あ、そうそう。帰国の航空券を買いました。9月末ころに帰国いたします。
モロッコから帰ってきます。そこから、東京、長野、大阪へ移動してゆきます。
モロッコ、やっと行けるっ!砂漠でラクダに乗って、星空キャンプができるっ!
カナダ留学の集大成として、モロッコ旅してきます。
それまで、この国をたんと堪能して、勉強して、帰ってきます。

世界ってひろい。
どこまでいっても、勉強。


るんたった るんたった。